「わかりやすさ」というものを考えてみる

そもそも「わかりやすさ」とはなんだろう。直感で操作できること、ってのが大事なんだけど、じゃあその直感ってどこで育まれるかというと、社会とかになる。幼児が大人になる過程では、親や教師から学んだことだけで育つわけじゃない。社会に触れて外部を認識していろいろなことを考えて、さらにそれに干渉を受けて、その社会の文化的な要素を「常識」として習得していく。
他の3Dソフトで「判り易い」と言われているソフトは、だいたいが「OSの文化」との親和性を重視している。ユーザーがそのOSの文化に慣れているからだ。わざわざ変えて混乱を生む必要性はない。
Blenderがそういう親和性から外れている点として、長年最初に語られ続けて来たもっとも特徴的な一例は、デフォルト※で右クリック主体な点だ(※設定で変えられるけど、)。かくして、説明なく初めてBlenderを立ち上げたユーザーは、最初に表示されているボックスを見て「あ、これを操作できるのね」と「左」クリックして、「あれ? 動かねえぞこの猫(©特撮)」という違和感を覚える。
俺も、なんでBlenderの左クリックが「3Dカーソルの操作」なのかという納得行く説明に出会ったことはない。
でも、なんでオブジェクトの操作ではなく3Dカーソルの操作だと、ユーザは戸惑うのだろう。3Dカーソルを操作しているのに。
ここで、「わかりやすいソフトは左クリックで編集対象を操作するソフトである」という仮定をでっちあげる。
この仮定において、一般的OS操作になれたユーザーは下記のような推察を行う。
Blenderのメニューは左クリックで操作できて、WindowsMacLinuxのほとんどもそうなっている。OSのファイルブラウザは、軒並み左クリックでフォルダをドラッグ・アンド・ドロップできる。だからBlenderのデフォルトキューブも左クリックで操作できるはずだ』
それが文化であり、無意識野に埋め込まれているのだ。OSのGUI空間において3Dカーソルは必要なく、マウスカーソルと分離したカーソルはキーボードフォーカスくらいだ。

Blenderの「外れた」点はもう一つある。「マウスカーソルが乗っかっているウィンドウ部分」にキーボード操作のフォーカスが当たる点だ。言葉にすると判りにくくなるけど、一般的OSでは「マウスでクリックした部分」にキーボード操作のフォーカスが当たり、Blenderはクリックせずともフォーカスが変化してしまうということである。
これは慣れると非常に効率的なので(3Dウィンドウの側面/上面図/カメラ切り替えなんかがホント手軽なのだ)Blenderファンからすると外して欲しくない点だ。しかし最初は戸惑うだろう——

——で、Blenderの判りにくさなんてのは、実はそれくらいなんじゃないかと思う。

複雑なコマンドはメニューを辿れば出て来るし、ボタン類にはtooltipが表示される。大量の機能を詰め込み過ぎているButton Windowには辟易するだろうけど、その正体は選択中のアイテムに対する操作をまとめた「インスペクタ」系のUIアプローチに過ぎない。詰め込み過ぎなのが問題だけど、おかげでコンパクトでもあるので単純に批判できない。
3DソフトはBlenderに限らず、たくさんの設定項目との戦いになる。他のソフトでも別の観点で整理しているけど、リファレンス無しで全設定を学習できるソフトなんてのもない。Cheetar3D然り、Lightwave然り、SketchUp然り。モデラとしてある程度割り切っているメタセコイア六角大王も例外ではない。

ではBlenderは「取っ付きにくいけどわかりやすいもの」なんだろうか。
まだ考察はまとまらない。