表現するための可能性に惹かれているのだ

T/O。って訳にもいかんので補足。見出し通りの考えになると、もうバッドノウハウかどうかよりも汎用性が高くて可能性が感じられ、かつ効率的なソフトであればなんでもいいという事になる。
「最近主流の機能は全部用意したぜ」というソフトよりも、「最近主流の表現も汎用的な機能経由でなんとかできて、あとその機能を通して変な事もできるよ」みたいな実装に惹かれてしまう。Blenderのnodeにはそれがあり、Button Windowの設定項目群にはあまりその路線の魅力を感じない——
——ああ、これは間違いなく「奥が深い症候群」だ。
俺は「特定手法の一発解決ボタン」や「プリセット」に対する興味を本末転倒な形で失っているんだろう。ストーリーのある映像を作りたいのに、機能を弄って満足しちまっているw
駄目じゃんw おれ、最初の批判に反論しちゃいけなかったんだよ。
むしろ開き直るべきだな。

「雪のシーンが欲しい」→「パーティクルとnodeでさっくり」と、バッドノウハウに近いんだろうけど簡単な思い付きで実現できてしまう事も多いので、蘊蓄としてのバッドノウハウとはまた違う気もしないではない。「ユーザに不毛な時間を費やすことを強いる」ものとも少し違う。
プロプライエタリでもそういった確執があったようで、ちょっと前まで王様だったはずの3Dソフト「MAYA」はまさしくDGという汎用性の上で、MELで何でも出来るツールだったと評価されている。その代わりに二言目には「それMELでできるよ」——MELという「バッドノウハウに近いもの」による汎用性に足を取られていたと考える。一方のMAXは……プリセット勝ちという評価が目に付く。「すぐに思った事をできるツール」という志向性がMAXおよびAutodeskの勝利(?)を生んだのかもしれないな。